先日、うちの子が友だちの前で私に抱っこをせがみかけた瞬間がありました。でも少し恥ずかしそうに、それとなく手を引っ込めたんです。
そのとき、ふと胸が締め付けられる感覚がありました。「ああ、そういう年頃になってきたんだな」と。
嬉しいような、少し寂しいような。うまく言葉にできない、あの感覚。今日は、そんな話を書こうと思います。
消防士として、「最後のとき」を何度も現場で見てきた
私は消防士・救急救命士として20年間、命の現場に立ち続けてきました。救急搬送した方がその後どうなったか、わからないことも多くあります。でも、現場で体に刻み込まれたことが一つあります。
人の命の「最後のとき」は、予告なく来る、ということです。
前日まで元気だった人が突然倒れる。もう一度話したかった言葉が、届かなくなる。「またいつか」と思っていた再会が、永遠に来なくなる。そういう場面を、何度も何度も見てきました。
だから私は、「またいつか」という言葉が少し怖い。現場を経験した人間として、「今日」の重さを知っているからです。
子育ての「最後のとき」も、予告なく来る
命の現場で学んだことは、子育てにも同じように当てはまると気づきました。
子育ての中にも、「最後のとき」があります。しかも、それはいつも気づかないうちに過ぎていきます。
ご飯を食べさせてあげる、最後の日
「あーん」と口を開けて待っている子どもに、スプーンを差し出す。毎日の何気ない光景です。でもある日突然、「自分でできる」と言い出します。それが、ご飯を食べさせてあげる最後の日になります。その日がいつなのか、誰も教えてくれません。
眠った子どもを抱き上げる、最後の夜
ソファで眠ってしまった子どもを、そっと抱き上げてベッドに運ぶ。その重さを感じながら、「大きくなったな」と思う瞬間があります。でもその重さを腕に感じる夜にも、最後があります。
手をつないで歩く、最後の道
子どもが自分から手を差し出してくれる。当たり前のように感じていたその感触が、ある日から来なくなります。友だちの前では恥ずかしい——そういう年頃になるのは、自然なことです。でも最後に手をつないだのがいつだったか、覚えていますか。
学校まで一緒に送り出す、最後の朝
「いってらっしゃい」と声をかけながら、角を曲がるまでその背中を見送る。そんな朝にも、最後があります。「もう一人で行ける」と言い出す日が来ます。それは成長の証。でも見送る側には、静かな寂しさが残ります。
寝る前に絵本を読む、最後の夜
「もう一冊だけ」とせがまれながら、布団の中で絵本を読む。眠そうな目でこちらを見上げてくる顔が、たまらなく愛おしい。でもいつからか、「自分で読む」と言い出します。
両手を広げて胸に飛び込んでくる、最後の日
遠くから走ってきて、全力で胸に飛び込んでくる。あの衝撃と温かさ。それにも最後があります。友だちの前では恥ずかしいから——と、子どもが気づく日が来ます。
気づいたとき、時はもう流れている
子育ての「最後のとき」は、ほとんどの場合、後から気づきます。
「そういえば最近、抱っこしてないな」「いつのまにか手をつながなくなったな」——そう気づく頃には、その日はとっくに過ぎています。
でも、これは「後悔しろ」という話ではありません。子どもが成長しているということは、親として最高の喜びでもあるはずだから。ただ、一つだけ覚えていてほしいことがあります。
⏳ 「またいつか」は来ないことがある。
子育ての「最後のとき」は、宣言なしに過ぎていきます。今日という日は、もう戻りません。防災の備えも、子どもと過ごす時間も——「今日」を使い切ることが、後悔しない生き方に繋がると私は思っています。
今日この瞬間を、使い切る
消防の現場で長く働いていると、後悔の形が一つではないことに何度も気づかされます。防災の備え不足だけでなく、家族と過ごす時間の使い方についても、同じように後悔の声を聞いてきました。
友だちの前で抱っこを恥ずかしがるようになってきたうちの子を見て、私は正直うれしかった。それだけ大きくなったということだから。でも同時に、「もう少し、今を大切にしよう」と思いました。
今日の帰り道、子どもが手を差し出してきたら——迷わず握ろうと思います。それが最後になるかもしれないから。
このブログを読んでくれているあなたも、今日の「最後のとき」が来る前に、少しだけ立ち止まって、子どもの顔を見てみてください。
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